雪うさぎ日記

お気に入りのモノや本、趣味のことなど何でもありの雑記帳ブログです。気ままに更新

絵が描けるようになりたい

皆さんは絵が描けますか?

何の絵?と聞かれる方は、おそらく絵が描ける人です。

 

描けないってどういうことかというと、「物の形が描けない」ということです。

昔々、大学の医学部の入試で「ニワトリの絵を描け」というのがありました。そのニュースを聞いた瞬間、うわ〜無理!って思いました。医学部受験なんて自分には全然関係ない話ですが、もし自分だったらと考えると頭まっ白でした。ニワトリは知っている。でも全く頭に形が思い浮かばない。きっとひと筆も描けない、、、

医学部であるだけに知識と観察力が問われる問題で、「絵の上手い下手は問わない」と問題文にありましたが、いやいやそれ以前の話ですよ~描けるか描けないかですよ~と思いました。受けてないけど。

 

近所にあるアート系ショップに行ったとき、「絵が描ける人っていいよね~」と話しながら歩いている二人連れの方を見かけました。そうそう、わたしもそう思う。道具を前にするとなおさらそう思う。画材買っている人がカッコよく見えるもん。

 

絵の描ける人が本当に羨ましい。いいなぁ〜わたしもサラサラ〜っと絵が描けたらいいのにな〜。頭に浮かんだアイディアを絵に描けたら便利なのに。自分の頭の中も整理できるし、他の人にも伝えやすい。わたしも絵が描けるようになりたい!!

 

それでよくある話ですが、「誰でも簡単に絵が描けるようになる」類の本を買ってきてやってみるのですが、そんなことでは描けるようにはならないんです。本に載っているお手本ならその通りに描けますが、それ以外はできません。

やっぱりデッサンを一からか?いやいやできれば辛い修練はしたくない。虫のいい話だが、らく~に楽しく習得したい。

 

それでいろいろ試行錯誤してみましたが、やはり「急がば回れ」になるんです。ひょんなことから絵を習うことになり、結局もっとも避けていたデッサンから始めることになりました。

 

今はアトリエに月2回通ってデッサンをやっています。とは言え、まだまだ絵が描けるとは口がさけても言えません。わたしが描きたいのは芸術的な絵画ではなく、パッと見て何を描いたかがわかる絵。painting でなくdrawing 。線で輪郭を描くイラストとか立体的な図とか。形やイメージが伝わる絵。面でなく線。形が取れればいいんです。

 

アトリエの先生は丁寧に教えてくれます。タッチがどうとか光がどうとか。でもセンセイ、それ以前の問題なんですワタシ。先生には伝わらないだろうなぁ〜次元の違うところにいることがぁぁぁ〜〜

 

で、デッサンに行き詰まっているわたしに、先生も「画材」を変えてみたらどうか提案してくれました。不思議なことにわたしも全く同じように思っていました。ちょっと別のことしてみたい。次回からは「色鉛筆」に挑戦することになりました。

今の不安は色鉛筆で彩色する前の下描きが描けるかどうかです。先生は大丈夫大丈夫と言うけれど、いや〜色鉛筆までたどり着けない、と心の底から感じています。

 

ああ、絵が描けるようになりたいーーーーーー

 

第一の分身

やりたいことが多すぎる。

もちろんブログも書きたいが、本も読みたい、絵も描きたい、ずっと続けている趣味もやりたいし、韓国ドラマも見たい、韓国語の勉強も再開したい。家族とのイベントも楽しみたいし普段の生活の中に隠れている「手間をかけたいこと」もしたいし、あれもこれも本当にやりたいことだらけ。

毎回の食事の支度とか、会社をやめれば時間ができるのに、、、と思う。でも生きていくためにはお金が必要だし、病気・障害・高齢家族の中で、家事頑張れるのは自分だけ(本当はそうじゃないのかもしれないが)と自分を鼓舞している。

 

実際に自分の時間が十分ある時は、意外にも「やる気」がなくなり結局何もできなかった、ということが経験上多々ある。だから今やりたい。

 

 

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もし自分に分身がいるとしたら、第一の分身には何をさせたいですか?第二の分身には?第三の分身には?という、○○占いというか、○○判断という記事を目にしたことがある。

皆さんも一度考えてみてください。

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答え(?)は、第一の分身にさせたいことが本当に自分のやりたいこと、だそうだ。それが正しいかどうかは別として、面白い考え方だなと思った。

 

以来、忙しいとき、今みたいにやりたいことが多すぎるとき、第一の分身に何をさせたいか考えるようになった。わたしの場合、本当にやりたいことと言うよりも、優先してやるべきことが第一に出てくるような感じ。そうして出てきた自分の答えに、なるほどと思いそれを実行に移したり、わかっていてもあえてしないで、分身でない今の自分自身がやりたいことをやったり。あくまでも参考程度。

 

けれど、パンパンにふくれ上がったやりたいことリストを整理するきっかけになるし、何から始めるか、判断するのに役立っている。

 

もし何をするか迷ったとき、視点を変える意味で「第一の分身」について考えてみると、行動するヒントになるかもしれません。

似合う色

そのセーターを着た瞬間、顔色がぱぁっーと明るくなり、自分の周りの空気まで変わる気がする。グレージュのタートルネックのセーター。

 

50代半ばのある日、今まで来ていた服が急に似合わなくなったと感じた。どれもこれも似合わない。それまでファッションには疎かったので、ものすごく困った。どうしていいのか分からないのだ。お店に行ってみても、「これだ!」というのが見つからない。通販で買っては返品を繰り返す。

 

若い時は何を着てもそれなりにサマになっていたような気がする。おしゃれではなかったけれど、別に服に違和感はなかったし、着ていて変な感じもなかった。

 

それがどうだ。昨日まで着ていた服に突然違和感を覚えるなんて。歳とったから?体型が変わったから?ともかく今までの服が着られない。サイズもデザインも自分の気持ちも。服を入れ替える必要がある。

 

どうしたらいいのか・・・図書館で50代向けの着こなし関連の本を借りまくった。有名なスタイリスト地曳いく子さんの本が参考になった。そっか、こういう風にやってみよう!どうすればいいのか、方向性が見つかったような気がした。それでしばらくはがんばってみたものの、やっぱりまだ「なんか違う」感がぬぐえない。またまた迷路に迷いこむ。

 

以前テレビの番組でドン小西さんが、自分の持っている服でコーディネートしてくれるという企画があった。それが驚くほど良くて、わたしもスタイリストさんにコーディネートしてもらえたらなぁ~と心の隅っこで思っていた。普通の人がスタイリストさんにお願いなんてできるのかなぁ。

 

そういえばニュースで聞いたことがあるような気がする。百貨店の有料サービスで、スタイリストさんのアドバイスを受けられるって。調べてみると地元のデパートでもやっていた。思い切ってファッション診断に申し込んでみる。おしゃれにはとんと疎いわたしが、スタイリストさんに?しかも今まで99%縁のなかったデパートへ?わたしは芸能人か?ぐらいの遠ーーーーい世界へ行こうとしているような感覚だった。(ホント庶民なんです、わたし)

 

ファッション診断でまず「何をどういう風に着ればいいかわからない」と50代半ばからの苦悩(?)を訴えた。「そうなんですね~ファッション迷子になっていたんですね~」というスタイリストさんの言葉に、すこし気が楽になった。こんなところにわたしなんかが来ていいのだろうか?というおどおどした気持ちがずっと強かったから。

 

パーソナルカラー診断。ブルべとかイエべとか、聞いたことあるけどぼんやりとしかわからなかった言葉たちに対面した。

肩に布の色見本を当ててみて驚いた。似合う色と全然似合わない色がはっきりとわかるのだ。誰の目にも明らか。わたしはベル―ベース夏タイプと診断された。知ってみるとなるほどと思う。今まで真逆のイエベ秋タイプの色を選んでいたりした。似合わないはずだ。

次は骨格診断。骨格タイプについては、具体的な有名人を例に挙げて教えてもらったので分かりやすかった。わたしはウェーブタイプと診断された。これにも納得。自分でも似合わないスタイルは選んでいなかった。ただ、更年期以降の体型変化を隠すような服を選んだりしていて、それは失敗だったんだなと気づいた。

なんとかなりそうだ。

 

そして冒頭の服である。ファッション診断を受けなかったら、多分選ばなかったであろう色。ほんとうによく似合う。色には幅があり、同じ名前の色でも似合う・似合わないがある。たまたま通販で買ったそのグレージュはわたしにピッタリだった。そんなあいまいな色があるのさえ知らなかったし、自分にこんなに似合うなんて知らなかった。その服を着るたびに晴れやかな誇らしい気持ちになる。高価なものではないけれど、今一番のお気に入りだ。

 

 

月曜日の楽しみ

日曜も夕方になると気持ちが沈んでくる。明日からまた会社。仕事がキライなわけじゃない。けど、会社行きたくなーいと思ってしまう。休日にパワー充電するタイプの人なら「よしっ!今週もがんばろう!」ってスタートできるのかなぁ。。。あー月曜日は気が重い。

 

と、そんな私でも「そうだ、月曜日はあれがあったな」というのがあります。単純ながらお昼のテレビ番組です。


休憩室でテレビを見ながらご飯食べているのですが、つけているのはNHK。ニュースのあとの番組、天野ひろゆきさんがMCをつとめる「うまいっ!」をひそかに楽しみにしています。

うまいッ! 日本各地の食の魅力を再発見!生活を豊かにするお得情報も満載

 

何が楽しみって、毎回紹介する食材に合わせた、MC天野さんの服装です!

過去最高のコーディネートは食材「うなぎ」の回と思います。鯖も良かったけどね。今のところお魚系にヒットが多い感じです。それにしてもスタイリストさんよく見つけてくるわ-ピッタリの服を。これだ!と思った時のスタイリストさんの喜びまで想像してしまいます。それともあまのっちが自分で選んでいるのかなぁ?ああ、あまのっちの月曜日の服について、熱く語り合いたい!


さて明日はどんな服装で登場するでしょうか、楽しみです。

どうでもいいことだけど気になる韓国ドラマあるある② 車のライト

どうでもいいことだけど気になる韓ドラあるあるその2は【停車時の車のライトの件】です。

 


 

韓国ドラマでは車の中で男女が言い争う場面が多い。多くは言葉足らずの気持ちの行き違い、ベタな恋愛トラブルだ。台本がそうだから仕方ないのだけれど、たった一言で問題解決なのに、その一言がない。そこでいきなり「車停めて」と運転してない方が言い、車から降りてしまう。運転手も当然車から降りて追いかける。そこだ!

 

車のライトが煌々と光っている。えっ、ライト消さないの?バッテリー上がるよ。

そうなると男女のいさかいはどうでもよくなり、わたしの目はライトに釘付けだ。お願い、早くライト消して!!

 



最初はオートライトだからと思いました。エンジン点けっ放しだから消えないのか・・・でもある時、エンジン止めて追いかける男の人がいました。やっぱりライトはついたままでした。エンジン止めて少ししてから消えるのかも?と待ってみましたが、いつまでたってもライトは消えませんでした。

どうしてなんでしょう?車のライトを消すと場面が暗くなって主人公たちが見えにくくなるから?日本のドラマなら?そもそも日本のドラマにはそういう場面はあまりないのかも。エンジンかけたまま車放置で追いかけたりしなさそうだし・・・

本当にどうでもいいことですが、車を止めたらライト消してほしいです。免許取りたての頃ですが、ライト点けっぱなしでバッテリーが上がり、大変な目にあったことがあります。そういう苦い経験があるから余計に気になるんです。ま、ドラマだから心配する必要ないんですけどね。気になる。。。

 

 

どうでもいいことだけど気になる韓国ドラマあるある① 水差し

韓国ドラマが好きで毎日見ています。今日も一日がんばった~緊張の糸をほっと緩める癒しの時間。なので頭を空っぽにして気楽に見れるドラマが好きです。

韓国ドラマを見ていると、ストーリーとは全く関係ない部分に引っかかることがよくあります。それもとても些細なことに。他の海外ドラマでは全然気にならないのに、韓国と日本は「似てるけど違う」部分が多いからでしょうか、細かなことにアレッ?て思ったりするんですよね。そして一度気になると、それが気になって気になって、、、例えばこんなこと。

【食卓の上の水差し問題】
韓国ドラマの登場人物はしょっちゅう怒ります。興奮して感情を爆発させる場面が多いです。そんな時、気持ちを静めるために水を飲むのですが、どうしてそこに都合よくそれがあるのか、と思うほど食卓の上に水差しとコップが用意されています。常にあります。その水差しの水をコップにいれて飲むんです。蛇口をひねって、じゃないんです。

 

お金持ちの家にもごく普通の家にも、一人暮らしの部屋にさえ、食卓の上には必ずコップと水差し。最近は冷蔵庫から水差しを取り出す場面も増えましたが、それにしてもいったい誰が、いつ、水を汲んで用意しておくんでしょう?気になりませんか?


お金持ちの家ならわかります。トウミ アジュンマ(도우미 아줌마)と呼ばれるお手伝いさんが用意してくれているでしょう。でも一般の家庭で常に新鮮な水を用意しておくって、けっこう大変じゃないですか?しかも水は置いておくとダメになるのに、冷蔵庫に入れないで食卓に出しっ放しってどうなのよ。文化の違い?ですか?

 

自分の生活(=日本の生活)を振り返ってみると、水差しはあまり使っていません。夏場に冷蔵庫に冷水ポットを入れたりしますが、普段は使いません。何かの催しや講演会場で、講演者のために壇上の机に水差しとコップが置かれている、というむしろ特別な場面に登場します。また小さなお子さんのいるご家庭では食卓に水差しを置いているかもしれません。幼い子は水が大好きだから。でもその場合も食事時以外は、冷蔵庫にしまっていませんか?冷水ポットを。


韓国料理は辛い物が多いし、水をたくさん飲む習慣があるのかもしれないです。それに水事情も違います。韓国ドラマの料理の場面ではお鍋にペットボトルのミネラルウォーター入れてたし。日本ならたいてい水道水ですよね(浄水器は使っているかもですが)。水道の水=飲料水ではないため、飲料としての水を用意する必要があるのかもしれません。だから水差し?

 

そう、水差しです。水差しがあってもいい。ただ、誰が水を用意してるんだーっていうこと。いつ汲んでるんだー、その水大丈夫なのかーっていうこと。ドラマの中で水差しに水汲んでるところを見せてくれよぉーーーーー


どうでもいいことだけど、気になる水差し問題でした。最近はドラマで水差しを見つけると「でたー!!」と心の中で叫んでいます。掘り出しもの探しの感覚。なので主人公が冷蔵庫からペットボトルの水を出して飲んでいる姿を見ると、あまりに普通でがっかりしてしまうのでした。

黄昏れ色のブログ

還暦という言葉は少々古めかしい感じがします。還暦=老人、引退のイメージが。。。今の60歳、還暦を迎えた人はその言葉にふさわしくないくらい元気です。バリバリ現役です。わたしも還暦を過ぎました。エッ?という感じです。老人と言いたくない、シニアと言ってと抵抗します。

 

でもやはり、60歳を境に時間が無限ではないことを意識し始めました。死について身近に感じるようになりました。あと何年生きるのか、その何年の間に何ができるのか、どういう風に死にたいか即ち、死までどういう風に行きたいか等、考えることが多くなりました。

 

人生100年時代と言われても、100歳まで体が元気なわけじゃありません。子供が成長して、どんどんできるようになることが増えていくのと反対に、大人は、老人は、どんどんできなくなることが増えていきます。同居する義母を見ていると痛切に感じます。できなくなることを自覚することも悲しいだろうなと思います。

 

そこまで生きたくないというのが自分の今の気持ちです。そう思うのはきっとまだ死が本当に身近じゃないからだと思います。病気もなく体が元気だからだと思います。欲は限りなく、先のことはわかりません。

 

そんなことをつらつら考えていると暗くなります。そこでとりあえず目の前のことを考えます。とりあえず、80歳まではがんばろうと思っています。がんばろうって何を?って話ですが、心が元気でいられるように生きようと思っています。そこから先は余生だなって。(今はそう思う)

 

何かを始めるのに遅すぎることはない、というのが自分の持論でした。それは正論かもしれませんが、やっぱりもう遅いでしょ、ということもあると認めました。勝手に決めてるけど、あと20年。このあと20年に何をしてどんな風に過ごすか、それが自分の人生です。「いつか」じゃなくて数年単位の具体的な目標を決めて、色々チャレンジしたいと思っています。

 

シニア世代のブログが黄昏れ色なのは、今まで生きてきた時間の経過やこれからの時間に限りがあることへの認識が背景にあるからではないかと思います。もともと黄昏時は美しい。夜に向かうきれいな黄昏れ色を大切にしたい。そして夜は夜の楽しみが、あるからね。